Creator’s Lounge/浅野いにお氏対談

『素晴らしい世界 新装完全版』刊行記念

対談
浅野いにお×初代担当編集者 小室ときえ(小学館)
あの頃の自分と同じような若い人たちに読んでほしい

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Creator’s Lounge『素晴らしい世界 新装完全版』刊行記念対談 浅野いにお氏×初代担当編集者 小室ときえ(小学館)

【プロフィール】

浅野いにお

『菊地それはちょっとやりすぎだ!!』でデビュー。初の連載作は月刊「サンデーGX」での『素晴らしい世界』。『ソラニン』で若者の圧倒的な支持を受け、現在『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を「スピリッツ」にて連載中。

小室ときえ

91年、小学館入社。「スピリッツ」編集部を経て、月刊「サンデーGX」に異動、 06年より6年間、編集長を務める。現在、第四コミック局デジタルコミック企画室編集長。元祖・仮面デスクにして、後の仮面編集長らしい。

高校時代に漫画家デビュー

―― この対談では主に『素晴らしい世界』についてお話いただきたいのですが、まずは浅野先生と小室さんが最初に出会った頃のお話を聞かせていただけますか。

小室 初めて会ったのは浅野くんがまだ高校生の頃の話で。私は当時「スピリッツ」の編集部員でした。たしか学校帰りにそのまま持ち込みに来てくれたんじゃなかったかな。

浅野 ええ、茨城から制服着たままの姿で。最初に「スピリッツ」編集部に電話をかけた際、出てくれたのが小室さんだったんですよ。

小室 今はどうなっているか知らないけど、当時の「スピリッツ」編集部では、基本的に持ち込み原稿は当番制で電話を受けた当番が見ることになっていました。それで作品を拝見して、いったん預からせてもらうことにしたんだよね。

浅野 はい。

小室 そこから先は実力だけでなく、運も絡んでくるような話になってくるわけだけど、その頃「スピリッツ」の増刊で私は山本直樹さんの担当をしていたんです。で、ある時、山本さんが風邪をひいちゃって、休載にはならないけど減ページにはなりそうだという事態になって……。

浅野 その減ページぶんの代原として、預かってもらってた僕の漫画(『菊地それはちょっとやりすぎだ!!』)が載ることになったんですね。

小室 そう、奇蹟的に浅野くんの漫画の枚数と山本さんの減ページ分のそれが一緒だったの(笑)。余談ですが、当時の「スピリッツ」編集長はのちの「サンデーGX」の初代編集長でもあります。やる気のある新人には目をかけてくれる人だから、特に反対もされず、代原としてすんなり載せてもらえることになりました。

浅野 ただ持ち込んだ際、ギャグ漫画なのに小室さんはクスリともしてくれませんでしたけどね。だから一応預かってはもらえたものの、たぶんそれで終わりなんだろうなと漠然と思っていました。

小室 面白いとは思ったけど、ギャグはギャグでも不条理ギャグだから声をあげて笑うような漫画じゃないじゃない? でも、あの1本で浅野くんの目指してる方向性はだいたい理解したつもりでした。それで「吉田戦車さんみたいな漫画が好きなの?」って訊いたら、たしか「楳図かずお先生の漫画が好きです」っていう答えで。それはそれでわからなくもなかったですね。

浅野 その質問のことはよく覚えてるんですけど、それ以外はまったく記憶にない(笑)。小室さんは学校の教師以外で初めて接する社会人で、そういう「大人」とどう接していいかわからなかったのかもしれませんね。

小室 浅野くんに限らず、持ち込みに来てくれる人っていうのは勇気をふりしぼって編集部を訪れてくれるわけですよ。だから笑いはしなかったかもしれないけど、どこかひとつでも褒めて帰さなきゃとは思ったんですけどね。

浅野 残念ながら褒められた記憶はありませんね。

小室 そうかなあ。何かひとつくらいはいいことを言ったと思うけど。『菊地~』は不条理で変な漫画ではあったけど、それだけに記憶には残ってたんですよ。「この新人、なんかあるかも」っていう。だからこそいったん預からせていただいて、代原として雑誌にも載せたいと思ったわけで。

浅野 それは今でも感謝しています。ちなみに最初に見た「スピリッツ」編集部の印象は「殺伐としてるな」というものだったんですけど、その一方で、プロの世界を垣間見た気がして、それはそれで自分的には満足だったんですよ。だから持ち込みに行っただけでも、充分いい経験をさせてもらったと思っていました。
 で、小室さんに原稿を預けて1週間後くらいですかね。「山本さんの代原として掲載することになりました」という連絡をいただいたのは。うれしかったけど、突然の話だったのでデビューの実感というのはあまりなかったかな。

Creator’s Lounge『素晴らしい世界 新装完全版』刊行記念対談 浅野いにお氏×初代担当編集者 小室ときえ(小学館)

代原でのデビュー

「サンデーGX」で仕切り直し

小室 その後、「スピリッツ」の増刊や本誌のギャグ漫画の企画で何回か読み切りを描いてもらいましたね。

浅野 はい。そのなかの『3年3組 脳先生』という作品を覚えていますか? 実はあの漫画のオチを小室さんに直されて、それが納得いかなくてちょっと漫画から離れたいと思いはじめちゃったんですよね。
 それまでは漫画家としてデビューできてたから大学に進学するつもりはなかったんですけど、「やっぱり受験しよう」と思い直したり。あと、ギャグ漫画ですべての人に面白いと思わせるのは難しいんだな、と改めて気づかされたということもあります。だったら大学に通いながら4年間のうちに別の方向性を探ればいいと考えたんです。プロの漫画家として食べていくのを諦めたわけではありませんでしたけど。

小室 そうなんだ。あの頃に描いてもらった『普通の日』という短編を読んでもわかるんだけど、当時の浅野くんは地元と東京、あるいは大人と子供の間で揺れ動いていて、「このままではいけない」という感覚が強いんじゃないかとは思ってた。でもその「焦燥感」が私は好きだったの。
 『脳先生』で私にオチを直されたことに納得いかなかったっていうのは知らなかったけど、「大学受験に専念する」と聞いても、てっきりこのままじゃ周囲に流されて埋もれてしまうかもしれないから、ちょっと腰を落ち着ける時間を作って出直そうとしてるんだろうなと思ってたんだよね。

浅野 それは間違いではないですよ。小学館との関係を断ち切ろうとしたわけでもなくて、「合格しました」という報告もまっさきに小室さんにしましたし。で、そうこうしているうちに、だらだらと遊んでるだけの大学の周りの連中を見ていたら、ふいに「このままではいけない」と思いはじめて、小室さんにネームを見てもらうようになったんですよね。
 小室さんは言うべきことは言う人だけど、囲い込んだり縛りつけたりするタイプの編集者じゃないからやりやすかったんですよ。と言っても、なかなかネームは通らなくて、不条理ギャグからホラーまで月に1本くらいのペースで提出してましたけどね。3回リテイクを食らったら新しいネームに切り替えるというやり方で。そしたら突然、小室さんがGXに異動することになって。

小室 「スピリッツ」で他に浅野くんの担当をしたいっていう編集者がいたら引き継いたんだけど、残念ながら当時はいなかったので(笑)。「じゃあ、一緒に新しい雑誌で頑張りますか!」っていうノリですね。
 それと浅野くんは何かの新人賞をとってデビューしたわけじゃないから、箔をつけるために「とりあえず第1回目のGX新人賞を獲ろうよ」とも言ったような気がします。

浅野 言われましたね。で、『宇宙からコンニチハ』という作品でかろうじて大賞の次点みたいな賞は獲れたんだけど、あれを描いたことでコメディタッチの漫画に対する違和感や限界が自分の中で芽生えちゃって。不条理やギャグに頼らない、もう少しシリアスな漫画にシフトしたいと思いはじめたんですよ。漫画だからなんでもありっていうのではなくて、もっと地に足がついた漫画を描きたいと思うようになったんです。

小室 それはこちらでもなんとなく気づいていました。『素晴らしい世界』の2巻の最後に載っている『桜の季節』にはオリジナルヴァージョンがあって、それをまず受賞後に描いてもらったんですよね。この頃からどちらかと言えばシリアス路線にシフトしてるでしょう。あと、バンド物の『脱兎さん』とか。いずれもいい作品だと思ったけど、このまま読み切りをぽつぽつ描いていくだけではいつまで経っても単行本が出せないから、思い切って今のスタイルのまま「連作の連載」というかたちにできないかと考えたんです。

浅野 それで、『素晴らしい世界』という枠を作ってくれたと。

小室 そう。そのタイトルさえあれば、毎回主役が違っても問題ないから。山本直樹さんの『フラグメンツ』も同じ形式で作ってたし。ただ、浅野くんの短編のシリーズを連載化することについては、編集長は当初ちょっと難色を示してましたね。浅野くんはまだ大学生だったし、知名度がないからリスクが大きいんじゃないかと。もう少しじっくりと育てたほうがいいと考えていたのかもしれないしね。
 でも、私としては浅野くんの単行本を一刻も早く出したかったし、幸い「サンデーGXコミックス」というレーベルの進行は私が任されてたので、「この人の単行本は絶対売れますから! それを前提に連載させてください!」とゴリ押しさせてもらったんですよ。

浅野 編集長が難色を示してたってのは初耳ですね。

小室 普通は賞をとってから何作か読み切りを描いて、その後、集中連載を経て長編へ、みたいな流れがありますからね。編集長の懸念もわからなくはないんですよ。
 で、いま言ったみたいになんとかゴリ押しで連載という形式にしてコミックスは出せることになったんだけど、無理を言った手前、コストはあまりかけられない。GXのコミックスのカバーはだいたい特色1色+4色で刷るのが定番なんだけど、『素晴らしい世界』については、銀の特色1色とスミともう1色の3色刷りにしたの。そういうふうにちまちまとコストカットしつつ、なんとか出せた次第で。

浅野 原価面で文句は言わせないぞと。

小室 うん。でも結果的には書店で目を引くいいデザインになったと思うけどね。

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初連載は小室の豪腕によるものだった

書店から愛される漫画家

小室 当時、浅野くんに限らず、私はよく新人の漫画家さんには編集部のブースでネームを切ってもらってたんだけど、それは編集長に対する営業でもあったんだよね。編集長も人間だから、頻繁に顔を見てたら新人に対して親心が湧いてくるだろうと(笑)。

浅野 その効果があったかどうかはわからないけど、編集部でネームを切ること自体は嫌じゃなかったですね。プロになった気がして。

小室 あとは当時、販売の営業担当者とも会ってもらいましたね。つまり、営業の人間に営業した(笑)。その甲斐もあって、販売や宣伝の人たちが親身になって、かなり力になってくれましたね。もちろん漫画家の仕事は面白い漫画を描くっていうのが前提ではあるけど、それだけでなくやっぱり人と人のつながりってのは大事なんだと思うんですよ。

浅野 同感です。でも小室さんとしては、ぶっちゃけ最初から売れると思ってましたか?

小室 思ってたよ。万人には受けないかもしれないけど、きっと浅野くんと同世代の大学生にはウケるだろうと。でも浅野くんは、漫画の内容的にはちょっと不満があったんだよね。

浅野 不満というか「自分」が出せずに雑誌の編集方針に流されてるなと。そもそも根が暗い僕みたいな大学生に明るい話を描けっていうのは無理があるんですよ。でも小室さんから、「暗い話にしてもいいから、せめてオチだけは希望があるようなものにしてほしい」と言われて。それはそれで自分なりに納得はしていました。

小室 たまにはバッドエンドもいいけど、負のスパイラルだけを描き続けてもエンタメにはならないと思うんだよね。浅野くんには、「物ごとの見方を少し変えれば、この世界はそんなに悪いものじゃないんじゃない?」っていうことを描いてほしかったんだよね。タイトルにもそういう想いが込められていたし。実際、大学生を中心に若い人たちに受けて、今でも四月とか五月とかの学生たちが五月病にかかる時期になぜか重版がかかるという……(笑)。

浅野 (笑)

小室 あと、全国の書店さんにもいろいろと協力していただきました。それに応えるために、浅野くんにも膨大な量のサイン本を作ってもらったり。たしか初版は1万5千部だったと思うんだけど、そのうちの千冊くらいは編集部に来るたびにちまちまサインしてもらったんじゃないかと。

浅野 サイン本だけでなく、書店周りもさせていただいて。あれも良い経験でした。

小室 そのうちヴィレッジヴァンガードさんが大プッシュしてくれるようになってね。

浅野 下北のヴィレヴァンに自分の本が置かれるというのは、プロの漫画家になる前からの目標のひとつでした。じっさいにこの目で売り場を見た時は感慨深かったです。

小室 ジュンク堂書店の大阪本店さんもいろいろやってくれましたよ。棚ひとつ使ってコミックスの1巻を大展開してくださったりして。遠目にそこだけがうっすら青く見えたという(笑)。
 そのあたりからですかね、最初はちょっと間が開いたんだけど、定期的に重版がかかるようになったのは。いずれにせよ、いま名前を挙げられなかったお店も含めて、浅野くんはデビュー時から今に至るまで全国の書店さんから愛されてるんだよね。これは作家として強いよ。

Creator’s Lounge『素晴らしい世界 新装完全版』刊行記念対談 浅野いにお氏×初代担当編集者 小室ときえ(小学館)

躍進の影には、書店との絆があった

毎回のページ数は決まっていなかった

小室 今日、浅野くんと久しぶりに会って話をするにあたって『素晴らしい世界』をざっと読み返してきたんだけど、ストーリー的にはさっき話に出た『桜の季節』と『脱兎さん』が私は好きかな。『森のクマさん』もいいね。

浅野 今でもよく覚えていますが、打ち合わせの際、小室さんが唯一良い反応を示してくれたのが『白い星、黒い星』でした。

小室 唯一じゃないでしょう(笑)。持ち込みの時にクスリともしなかったとか、さっきから誤解を招くようなことばかり言わないでよぅ(笑)。でも、『白い星、黒い星』もよかったね。あの作品についてはストーリーよりも演出が気に入ったの。物語の終盤、見開きで横長の8コマが均等に並んでるシーンがあって。あそこの演出はネームを見た段階で感心しましたね。

浅野 それと、『素晴らしい世界』の打ち合わせでよく覚えているのは、その時に次回のページ数を教えられたということで(笑)。つまりあの漫画は、雑誌の毎号の空きページ次第でページ数が増えたり減ったりしてたという。

小室 「今回は18ページだったけど、来月は6ページでお願い」とかね(笑)。でもある時、浦沢直樹さんが編集長に『素晴らしい世界』のことを大絶賛してくれたんだって。それ以降は「何ページでもいい」という破格の扱いになった(笑)。

浅野 浦沢さんには感謝ですね。いずれにしてもページ数が毎回決まってなかったというのは、ポジティブに考えれば短編を描く修行にはなりました。そのためにいくつものネタのストックを常時ためてたりとか。18ページと6ページではやれることが違いますからね。それと絵的な自信はまったくなかったから、とにかくセリフで小室さんをいかに納得させられるかということを考えていました。

小室 たしかにセリフまわしは浅野くんは最初から上手かった。だからどちらかと言えば、「読み手の目線」についていろいろうるさく言ったかな。当時の浅野くんは映画で言う複数のカメラを使ってアングルの切り替えを多用しがちで、それだと読者がついてこられないからなるべく抑えてほしいというのと、常にページのめくりの効果を考えてコマを割ってほしいということですね。

浅野 それについてはかなり勉強になりました。で、自分なりに他にもいろいろと試行錯誤してなんとか『素晴らしい世界』を2巻ぶん描き終えて、次の連載の『ひかりのまち』が始まるあたりで肺気胸で倒れてしまったという……。覚えていますか。

小室 忘れられないよ(笑)。季節は春で、桜並木の中を自分の車飛ばして病院に行ったのを覚えてますから。入院してる人に悪いとは思ったんだけど、『素晴らしい世界』の2巻の色校を持って行って確認してもらったこともある(笑)。

浅野 病気の話を親に報せたくなかったので、小室さんにだけ連絡してたんですよね。入院の保証人にもなってもらいましたし、その節は大変お世話になりました。

小室 でもあの時、浅野くんが言ったひと言で私は深く傷ついたんだよ。

浅野 え、何?

小室 「小室さんはお母さんみたいだ」って。そこまで年、離れてないじゃん! せめてお姉さんにしてほしかった(笑)。

浅野 うーん、覚えてない(笑)。でもそれくらい頼ってたってことですよ。

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お母さん?

ノストラダムスの予言が原点

―― さて、突然ではありますが、ここでGXの則松編集長に、いま改めて『素晴らしい世界』の新装完全版を出すことについてお話いただけますか。

則松 昨年は浅野さんの画業20周年の年で、さまざまな本が出版されたり大規模な展覧会が開かれたりしました。年も変わったし年号も変わったので「周年」とは言えませんが、それに連なるものとして「始まりの作品」である『素晴らしい世界』を再び世に送り出すのも面白いかなと考えたんです。

―― なるほど。浅野先生の漫画自体、ループしてまた元の場所から新しい世界が始まるという構成の作品が少なくないですから、それはいい発想ですね。

則松 そうなんですよ。実は残念ながら私はこれまで浅野さんの担当をしたことはなかったのですが、いつか一緒に仕事を出来たらいいなとずっと思っていました。なので今回、単発の読み切りではありますけど、ようやく『1999』という作品を担当させていただいて感無量です。

―― 浅野先生は、久々に古巣のGXに帰ってきていかがですか。

浅野 冒頭で話に出たように、正確には僕のデビューは「スピリッツ」の増刊なんですけど、実質的にはGXで再デビューさせていただいたようなものですから、どこよりも恩義を感じている雑誌のひとつですし、久々に描けて単純にうれしかったですよ。『素晴らしい世界』連載当時も今も、雑誌のなかで僕の漫画が浮いてるという状況は変わらないと思いますけど、自分の作風を相対化するという意味でも、今回久しぶりに描かせてもらったのは個人的に意味があったかもしれません。

小室 今回の読み切りもまた、「世界の終わり」がテーマのひとつなのね。

浅野 自分のメンタリティのスタートがどうしてもノストラダムスの予言にあるので、やはりそれをテーマに描くしかないかなと。みんな恥ずかしいから表立っては言わないんだけど、僕と同世代の人たちは心のどこかで世界滅亡を信じつつ大人になっていったわけですよ。これは極論かもしれないけど、10代で死んじゃうと思うからこそコギャルのような存在が生まれたとも言えるわけで。だから今回の漫画でコギャルを主人公にしようと考えたんです。ノーフューチャーな感じで。

小室 コギャルというのは、今の10代の女の子とは明らかに違う存在だったからね。

浅野 その違いを、新人だった頃の自分と今の自分の違いとして重ねられたらいいなと考えたんです。あとは、GXには可愛い女の子のキャラがいっぱい出ているだろうから、あえてそこも外そうかなと(笑)。コギャルって実はそんなに可愛くないでしょう。周囲の大人たちもどちらかと言えば怖がってたというか。そういう独特な90年代の女の子たちをあえて今のGXで描くのも面白いかなと思ったんです。でも、いくつかの負の部分も含めて、僕はああいう女の子たちは可愛いと思いながら描きましたけどね。

この先も長く読み継がれていく漫画に

―― そろそろ終わりの時間が近づいてきましたので、最後に、『素晴らしい世界』執筆当時を振り返ってみて、思うことなどがありましたらお聞かせください。

浅野 あの頃は今みたいに情報も溢れてなくて、しかも、僕が住んでたのは東京の端っこの町田で。とにかく孤独の中で漫画を描いていたという印象が強いです。でもそれはいま振り返ってみるとそんなに悪いものじゃなかった気がします。もちろんあの頃に戻りたくはないですけどね。担当の小室さんのことも頼りにはしてたけど、かと言ってべったりという間柄でもなかったでしょう。そういうつかず離れずな感じも心地よかったんですよ。

小室 編集者として浅野くんの作品をデビュー作から見ていて、『素晴らしい世界』を描いてる途中からどんどん漫画が上手くなっているのがわかった。それは担当編集者として単純にうれしかったですね。この人なら漫画で文学が出来るんじゃないかとさえ思った。行間を読むというか、読者の数だけいろんな解釈ができる、そういう文学性の高い漫画を描けるだろうと思いましたし、それはその後に描かれた数々の作品を読んでも浅野くんなら出来ると確信してます。

浅野 SNSなどで未だに『素晴らしい世界』の感想を見かけますけど、僕の他の漫画とGXでやった2作は明らかに違うんですよ。たぶん担当編集者の色が濃く出てるんでしょうね。特に『素晴らしい世界』の中にある希望や明るさの部分は、ほとんど小室さんのキャラが反映されていると言っていいと思いますから。

小室 それでもやっぱり、『素晴らしい世界』は「浅野いにおらしい漫画」だと私は思うよ。自分の担当作なのであまり偉そうなことは言えないけど、この漫画はこれからもエバーグリーンな存在として残っていく作品だと思う。繰り返しになるけど漫画でも充分文学ができるという、そういう作品だから。これは漫画が下で文学が上だというような話ではなくて、漫画の表現の幅を広げたっていう意味で言っています。だから今回、新装完全版というかたちで生まれ変わって新しい読者と出会えることは、連載時の担当編集者としても心からうれしく思いますね。

浅野 僕も新装完全版が出てうれしい反面、今の若い人たちはもっといい作品に多く触れてるはずだから、ちょっと恥ずかしい気もします。特にあの絵で大丈夫なんだろうかという不安は拭えません。ネームとセリフについてはそれなりに満足しているんですけど、絵についてはどうしても自信がありませんね。でも、いまだにGXコミックス版の2冊が重版されていて、SNSを見ればあの作品が一番好きですって言ってくれてる読者も少なくない。そのことを考えると、漫画ってのは絵だけじゃないんだなっていうのがよくわかります。
 いずれにせよ『素晴らしい世界』という作品には、当時の僕が感じていた先が見えない不安感や仕事に対する真剣さみたいなものがはっきりと刻み込まれていますので、あの頃の自分と同じような悩みを抱えている若い人たちに新たに手にとってほしいと思いますね。

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